紀州熊野別当と名取熊野
高舘(たかだて)丘陵―宮城県名取市高舘―にある「熊野那智神社」の東側には、奥州藤原三代秀衡の築いた城館の跡―高舘城跡―が隣接しております。 秀衡がなんらかの理由でこの地を重要視していたことが窺えるわけですが、『奥羽古史考証(友文堂)』の藤原相之助などは、この「高舘」を「多賀舘―多賀城―」の意としております。...
View Article高舘山古墳の被葬者についての一考察
大正十四(1925)年発行の『名取郡誌』には、名取熊野那智神社―宮城県名取市高舘―の神職山田氏は治兵衛の苗裔なりと傳ふ、とありました。 「治兵衛」とは同社の由緒に現れる広浦―閖上(ゆりあげ)―の漁夫のことですが、彼が神職についた事情や、同社が高舘丘陵―宮城県名取市―に祀られた事情については、おおよそ以下のように伝えられております。...
View Article「東鹽家秘録」の語る兄妹神について
たびたび触れている東鹽氏の伝――。 東鹽氏とは、江戸時代の仙臺藩の儒者「舟山萬年」による『鹽松勝譜(えんしょうしょうふ)』と、明治時代の鹽竈神社権宮司「遠藤信道」の『鹽竈神社考』に“のみ”その名のみえる、幻の“鹽竈神社旧祠官一族”であるわけですが、特に遠藤信道はその一族の家伝なるものを重要視しておりました。...
View Article伊雑宮の神とは
『日本書紀』神功皇后摂政元年二月条の神功皇后東征譚において、「務古の水門(むこのみなと―摂津国武庫郡:兵庫県尼崎市―)」で祀られた神々は、次のとおりでありました。 「天照大神」 「稚日女(わかひるめ)尊」 「事代主尊」 「表筒男・中筒男・底筒男の三神―住吉三神―」...
View Article太白山の風景
梅雨ということもあってか、仙台市太白区の「太白山(たいはくさん)」がしばしば下界の靄(もや)の上に浮かんでいるような風景を目にします。 仙台市民にもっとも馴染みの深い山は?と尋ねたら、おそらくは泉区の泉ヶ岳とこの太白山が双璧をなすことでしょう。...
View Article太白山の貴船神社
「太白山(たいはくさん)」がある「生出(おいで)地域―仙台市太白区―」は、昭和三十一(1956)年に仙台市に編入合併されるまでは、「生出(おいで)村」なる単独の「村」でありました。その地域の輪郭があたかも旧秋保町においでおいでと手招きしているように見えていたので、地図ばかり眺めていた少年時代の私の頭にはすんなり地名が入ってきておりました。...
View Article石城國造家と貴船神:前編
江戸時代初期、仙臺藩主四代伊達綱村によって現在のかたちに定まる前の鹽竈神社には、一棟の左右宮の東側に「貴船宮」と「只洲(ただす)宮―下鴨社―」の祠が並んで祀られておりました。ただ、いつごろから祀られていたのかは、正確なところわかりません。...
View Article石城國造家と貴船神:中編
安本美典さん監修・志村裕子さん訳『先代旧事本紀[現代語訳](批評社)』は、「高(たか)の国造」の由緒地として「佐波波地祇(さわわくにつかみ)神社―茨城県北茨城市―」を挙げておりました。...
View Article石城國造家と貴船神:後編
延喜式神名帳所載の磐城郡七座の一社「大國魂(おおくにたま)神社―福島県いわき市平菅波―」は、約1300年前に石城國政庁によって祀られたものと由緒に伝わります。同社の祭神は、事代主命、大巳貴命、少彦名命、といった出雲の神々でありますが、その飛び地境内には由緒上、石城國造「建許侶(たけころ)命」の墳丘と伝わる「甲塚(かぶとづか)古墳―同市平荒田目―」があります。...
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