7、上岡・下岡の東明神・西明神
『鹽松勝譜』によれば、瑞巌寺の北には、上岡・下岡と並び称される一対の岡があり、その両岡の上には祠があり、各々東明神・西明神と言われ、それらは貴船祠と加茂祠とされていることです。
特に上岡は金毘羅山とも呼ばれていたらしいので、であればおそらくは現在「新富山」と呼ばれているところの岡がそうであろうかと思います。なにしろその頂には金毘羅神社があります。ただしこれが上岡の東明神を指すものか否かについては未確認です。
『鹽松勝譜』によれば、瑞巌寺の北には、上岡・下岡と並び称される一対の岡があり、その両岡の上には祠があり、各々東明神・西明神と言われ、それらは貴船祠と加茂祠とされていることです。
特に上岡は金毘羅山とも呼ばれていたらしいので、であればおそらくは現在「新富山」と呼ばれているところの岡がそうであろうかと思います。なにしろその頂には金毘羅神社があります。ただしこれが上岡の東明神を指すものか否かについては未確認です。
いずれ東明神たる貴船祠の祀るところは、京都鞍馬のそれと同様、水神の高龗(たかおかみ)神であるようで、一説には北斗星を祀るともされていたようです。
一方の西明神たる加茂祠の祀るところは、建津見命と別雷命の二神、すなわち賀茂建角身(かもたけつぬみ)命と、その孫たる賀茂別雷(かもわけいかづち)命のことでしょうが、いずれも山城賀茂氏の始祖であり、いわゆる下鴨神社・上賀茂神社の祭神ということになります。
あるいはもしかしたら、そのまま上岡・下岡の一対をもって下鴨神社―賀茂御祖(かもみおや)神社―の東西両殿を成立させていたのかもしれません。
京都の下鴨神社は、東殿に玉依姫と賀茂別雷の母子を祀り、西殿に玉依姫の父賀茂別雷―八咫烏(やたがらす)―を祀っているわけですが、しいて言えば、何故、松島下岡の西明神に玉依姫の名が含まれていないのかは気になります。人皇初代神武天皇の母ということで憚られたものか、あるいは上岡東明神の高龗神をもって玉依姫、すなわち上賀茂社とみられていたのでしょうか。
補足をしておきますと、貴船社は近世以前には上賀茂社の摂社とされておりました。現在のような独立した社になったのは明治以降のことといいます。
とはいえ、なにやら11世紀の水害で被災した際のどさくさに上賀茂社の摂社とされてしまった歴史があるようで、現在のかたちはむしろ旧に復されたものということであるのでしょうが、江戸時代の思想展開を窺い知る上では、当時には必ずしもそうみられていなかっただろうということを念頭に置く必要がありそうです。
ところで、この上岡・下岡、すなわち、貴船・下鴨の組み合わせが、仙臺藩主四代伊達綱村によって改築される前の鹽竈神社境内に祀られていた貴船・只洲(ただす)と同じ組み合わせであることに気づきます。只洲が京都の下鴨社境内の「糺(ただす)の森」に由来する言霊であることは言うまでもありません。
さすれば、単に鹽竈神社境内の社殿配置という器だけの問題にとどまらず、そこに内在するなんらかの思想そのものが鹽竈神社の外部の松島湾全域をも巻き込んで展開していたということを想定せざるを得ません。
特に、綱村による元禄縁起の制定時に鹽竈神社の別宮と化した可能性が残る貴船については、鹽竈神社「社誌」の「鹽社由来追考」―『鹽竈神社史』所収―に、「或傍説ニ云、貴船ハ当宮ノ地主ノ神タル由」と、これを塩竈の地主神とする信仰が存在していたことを思い起こされます。
往古塩竈といえば松島湾をも含む概念であったわけですが、貴船が塩竈の地主の神であるならば、松島の総地主とされる葉山神との関係を如何に咀嚼すべきなのか、また、ここにあえて混乱を免れ得ない情報をひとつ蒸し返すならば、貴船たる上岡東明神が一説に北斗星を祀るものであるとも『鹽松勝譜』にありました。
ここでの北斗星が北斗七星のことであるのか北極星のことであるのかは定かでありませんが、全天の中心に位置する北極星を造化三神の一である「天之御中主(あめのみなかぬし)」と説く北辰妙見信仰なりの影響が透けてみえてきます。
天之御中主神は、現在松島高城に鎮座する「紫神社」の祭神とされているわけですが、何を隠そう、その紫神社は古く「松島明神」と呼ばれておりました。
松島明神はかつて上岡・下岡にほど近い蛇ヶ崎に鎮座しておりましたので、情報になんらかの混乱が生じたのでしょうか。
天之御中主を北辰・妙見と結びつける信仰形態はおそらく伊勢外宮の度会氏による『神道五部書』などの影響を機に中世以降に隆盛したものと考えられます。
しかし松島明神は、西行や義経の伝説にみるごとく、少なくとも奥州藤原氏時代には松島を代表する神であったわけであり、それ以前の安倍宗任ですら配流先の筑前大島にて崇敬していたことを鑑みるならば、これは総地主とされる葉山権現と並ぶ松島最古級の神祀りとみるべきでしょう。したがって、天之御中主を祭神とみるには妙に新しすぎる違和感も残ります。
なにしろ、全てを素直に受け入れてしまうと、貴船神=鹽竈神=塩竈の地主神=松島の地主神=葉山神であり、貴船神=上岡東明神=天之御中主=紫明神=松島明神ということになってしまうわけですが、少なくとも天之御中主については、奥州藤原氏を滅ぼした源頼朝の論功行賞によって高城地区を所領した相馬氏の妙見信仰が混入したものとみるのが妥当ではないでしょうか。