9、高城川河口に鹽場を開いた松島明神―紫明神―
松島湾の独特の景観は、湾内に流入する河川が少ないことで保たれているという一面があるのですが、それは逆に、瑞巌寺や五大堂などがある松島海岸地区においては慢性的な水不足の要因でもありました。だからこそ、「独鈷水」や「一脈霊泉」、「湯の原」といった数少ない清水にはそのあまりの有難さからか、すべからく慈覚大師円仁伝説がつきまとっていたのでしょう。
瑞巌寺に近接する水主(かこ)町では、かつて高城町から清水を分けてもらい飲料水として町内に販売していた家も存在し、その職の「水屋」を屋号に掲げて現在に至る家もあるようです。―拙記事「松島海岸の清水」参照―
ともあれ、高城町は清水に恵まれていたということになりますが、それもそのはず、この地区は松島海岸地区とは裏腹に、高城川なる川の河口周辺の宿場町でありました。
その地に開かれた塩田、いわゆる「高城塩田」は、仙臺藩における初期の三塩田のひとつであり、その監督機関として設けられた「磯崎お倉」は、領内35カ所に置かれた領外輸出用の米穀を収蔵する買米倉庫の中で、宮城郡下唯一の官倉であったようです。
その関係から、米穀の集散にともなう諸施設も多く、近郷の人馬の往還も盛んで、高城宿駅の設定もあいまって、その繁栄は高城磯崎両集落の形成上、きわめて大きな役割をはたしていたようです。―『松島町誌』参照―
さて、この高城における製塩属性は、藩政時代に初めて育まれたものではありません。連続性はともかく、なにやらその始原は神代にまで遡り得るものであったようです。
『鹽松勝譜』によれば、鹽竈神が塩竈湾にて製塩の術を教えた時、分けて一神に命じて高城川の河口にも別に鹽場を開かせたというのです。
命ぜられてこの地を一任されたのは「松島明神」で、土人曰く、鹽竈神社の例祭における神輿渡御の際、先導する祝吏が塩竈の街中の道々に撒いて祓い清めた塩は、この高城川河口で得られた塩であったとのことです。
製塩の先駆たる鹽竈大神によって開かれた鹽場で得られた塩ではなく、あえて松島明神によって開かれた鹽場で得られた塩が用いられたことの意味は妙に示唆めいております。極言すれば、松島明神の祓の力が鹽竈大神のそれを上回るものとみなされていた可能性を窺い知れる逸話と見えなくもありません。
あくまで想像でしかありませんが、もしかしたら松島明神とは、陸奥國府多賀城の御用神社と化す前の鹽竈大神の本質であったのではないのでしょうか。
松島湾の独特の景観は、湾内に流入する河川が少ないことで保たれているという一面があるのですが、それは逆に、瑞巌寺や五大堂などがある松島海岸地区においては慢性的な水不足の要因でもありました。だからこそ、「独鈷水」や「一脈霊泉」、「湯の原」といった数少ない清水にはそのあまりの有難さからか、すべからく慈覚大師円仁伝説がつきまとっていたのでしょう。
瑞巌寺に近接する水主(かこ)町では、かつて高城町から清水を分けてもらい飲料水として町内に販売していた家も存在し、その職の「水屋」を屋号に掲げて現在に至る家もあるようです。―拙記事「松島海岸の清水」参照―
ともあれ、高城町は清水に恵まれていたということになりますが、それもそのはず、この地区は松島海岸地区とは裏腹に、高城川なる川の河口周辺の宿場町でありました。
その地に開かれた塩田、いわゆる「高城塩田」は、仙臺藩における初期の三塩田のひとつであり、その監督機関として設けられた「磯崎お倉」は、領内35カ所に置かれた領外輸出用の米穀を収蔵する買米倉庫の中で、宮城郡下唯一の官倉であったようです。
その関係から、米穀の集散にともなう諸施設も多く、近郷の人馬の往還も盛んで、高城宿駅の設定もあいまって、その繁栄は高城磯崎両集落の形成上、きわめて大きな役割をはたしていたようです。―『松島町誌』参照―
さて、この高城における製塩属性は、藩政時代に初めて育まれたものではありません。連続性はともかく、なにやらその始原は神代にまで遡り得るものであったようです。
『鹽松勝譜』によれば、鹽竈神が塩竈湾にて製塩の術を教えた時、分けて一神に命じて高城川の河口にも別に鹽場を開かせたというのです。
命ぜられてこの地を一任されたのは「松島明神」で、土人曰く、鹽竈神社の例祭における神輿渡御の際、先導する祝吏が塩竈の街中の道々に撒いて祓い清めた塩は、この高城川河口で得られた塩であったとのことです。
製塩の先駆たる鹽竈大神によって開かれた鹽場で得られた塩ではなく、あえて松島明神によって開かれた鹽場で得られた塩が用いられたことの意味は妙に示唆めいております。極言すれば、松島明神の祓の力が鹽竈大神のそれを上回るものとみなされていた可能性を窺い知れる逸話と見えなくもありません。
あくまで想像でしかありませんが、もしかしたら松島明神とは、陸奥國府多賀城の御用神社と化す前の鹽竈大神の本質であったのではないのでしょうか。
現在の高城川河口付近には松島湾そのものを庭園にしたようなリゾートホテルが建ち並び、いわば観光の宿場町と化しております。